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黒羽根内科医院旧館について
沿革
魅力
木造洋風医院建築
改修工事の概要
概要
地図
 
 
※いせさき明治館は、市民の公募により名付けられました。

 平成14年(2002年)9月、伊勢崎市の本町通りの南側に建つ、明治末年に建てられた県内で最も古いとされる木造洋風医院建築である黒羽根内科医院旧館(旧今村医院)が、建物所有者の市への寄贈の意志を受けて、伊勢崎市の重要文化財に指定され、新たなまちの拠点施設化を目指して同年11月、中心市街地を約100m曳き屋され、現在地(曲輪町)へと移転しました。多くの市民に見守られる中での二日間を掛けた曳き屋移転は、伊勢崎の街中に新たな文化資源の誕生を予感させる出来事となりました。

 

 今回発見された棟札には「明治45年7月11日 今村信四郎 之を建つ、設計技師:阿部石松、棟梁:藤丸兼吉、副棟梁:相崎倉吉」と記されています。
 建主の今村信四郎は、かつて伊勢崎藩の藩医等を務めていた今村家の人です。4代前に遡る人物の一人に、江戸中期の尊皇論者として有名な山形大貳がいました。その第二子長蔵は、長じて医術を学び開業、名前を「今村長順」として伊勢崎藩の藩医に登用されました。俳諧でも名を馳せ、俳名を「岨雲」と称し、清江舎と老松館という2つの俳句結社をつくっています。
 長順の第三子「今村了庵」は江戸に出て医術を学び、伊勢崎藩医を継いでいます。その後幕府医学官講師となり、明治12年には大正天皇の皇太子時代の侍医になっています。その後東京帝国大学(現在の東京大学)で皇漢医学の沿革を講じて漢方医学を伝えました。
 了庵の後はその娘婿である信州高遠藩士鈴木家の「春斎」が医業を継ぎ、本町一丁目に居を定めました。そしてこの春斎の長女が新田郡尾島町から医者の婿「信四郎」を迎えて、明治30年2月に当地で開業し、その後明治45年に建物を洋風建築に建て替えたものと思われます。信四郎は大正2年に伊勢崎佐波医師会が誕生すると当初から会員として従事し、大正9年には伊勢崎町の町医となっています。しかし昭和4年令息美多氏と合併するために東京へ向かうこととなり、同年12月伊勢崎を転出しました。
 その後の利用形態は不明ですが、昭和19年10月頃、「伊勢崎保健所」が当建物で開設されています。その後縁があり、昭和17年8月1日に宮元町(現在の三光町)で内科医院を開業していた「黒羽根忠雄」氏が購入し(昭和22年頃)、「黒羽根内科医院」となりました。
さて黒羽根忠雄氏ですが、山形県鶴岡市生まれ、昭和9年東京医専を卒業、東京医専付属淀橋病院助手となり、傍ら東京慈恵医大にて大脳生理、および条件反射学総説大脳感応現象の研究をし、その後縁あって伊勢崎で開業しています。赤ひげ先生と呼ばれ、お金のない患者からはお金を取らないと言うことでも知られていました。
 昭和59年、忠雄氏の長男である「黒羽根生自」氏が後を継ぐために新館が建てられ、診療所としての機能は新館に移され、戦後40年近く続いた旧館の診療所としての役割は終わりました。
 平成14年、生自氏の意向により、建物を伊勢崎市の歴史的文化資源として保存し、新たなまちの拠点施設として活かすことを目的に、建物が伊勢崎市へ寄贈され、今回の移転・改修工事の完成の運びとなりました。

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 建築的に最も目を見張るところは、正面外観の木造洋風医院建築としての意匠性です。正面中央に車寄せ風の玄関ポーチを構え、独立柱の柱頭飾りや唐草様の持ち送り、その上のテラス開口部まわりの付け柱の柱頭飾り、さらにその上の櫛形の飾り破風や燭台風の木彫りなど、もっとも手の込んだ洋風建築としての装飾が施されています。
 また外壁の箱目地の下見(ドイツ下見)板張り、1、2階中間部の胴蛇腹(飾り小壁)、軒下部の軒蛇腹、唐草様の軒を支える持ち送り、外部コーナー化粧柱と柱頭飾り、正面洋風建築部分の上げ下げ窓の山形や櫛形風の化粧破風等、洋風建築としての様式が各所に組み込まれています。
 さらに中央玄関の両側の壁がわずかに張り出した左右対称の形式は、明治期の洋風公共建築で好んで採用された格式を象徴する外観と言えます。このような質の高い洋風建築としての設えが一民間の医院建築で成されていることは特筆すべきことと思われます。
 一方近代化の象徴としての洋風意匠の採用に対して、根強い和風の生活様式の踏襲から、洋風の造りは正面側外観と診察室や薬局等に限られ、裏側の外観や接客、居住関連の部屋は和風の意匠、造作となっているいわゆる和洋折衷の造りも、当建築の際立つ特徴と思われます。

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今回の改修工事では、傷んだ箇所の修理と合わせ、文化財としての復元修復が行われました。90数年の間に幾多の改造等が行われてきましたが、極力建築当初の形に戻すことを原則としました。間取りの改変までは行われていませんでしたので、仕上げ材料(漆喰や聚楽壁)や仕上げの色(特に外壁の色等)、建具の形や材質(アルミサッシは木製建具へ等)などが、出来る限り当初と思われる形に戻されました。
 また一方で、これから新たなまちの拠点施設として活用することが求められていましたので、出来る限りの構造的な補強が行われました。コンクリート基礎の打設と土台との緊結、耐力壁となる壁面の構造的な補強、2階床面や屋根野地面の構造的な補強等です。さらに使い勝手を向上させるために奥に管理棟が増築されました。

 

■建築名称 黒羽根内科医院旧館(旧今村医院):伊勢崎市指定重要文化財
■所在地 伊勢崎市曲輪町31-4(移転前 本町23-7)
■建築年代 明治45年
■建て主 今村 信四郎
■設計技師 阿部 石松
■棟  梁 藤丸 兼吉
■副棟梁 相崎 倉吉
■規  模 1階床面積: 86.51u(26.1坪)
  2階床面積: 68.14u(20.6坪)
  延べ床面積: 154.65u(46.7坪)
■構  造 木造2階建 マンサード風寄棟造り
■仕上げ 屋根/日本瓦葺き
  外壁/箱目地下見(ドイツ下見)板張り
  基礎/安山岩系切石積み基礎
  内部床/縁甲板張り 畳敷き
  内部壁/しっくい塗り 聚楽壁塗り
  天井/しっくい塗り 羽目板張り 竿縁天井杉板羽重ね張り

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